今日は、私の兄のことを聞いていただいてもいいでしょうか?
兄は、高校の山岳部に入部して以来、山に取り憑かれたようになり、やがて、冬山にも1人で何日間も入るようになりました。冬山で遭難しかけ、凍傷で入院したこともありました。家族からは兄の山行きは奇行にしか見えず、私は兄のことを、とんだ変人だ思っていました。
そんな兄も、奇跡的に結婚することができ、新居を長野県に構えました。まもなく女の子が産まれ、ようやく変人が普通の人になってくれたと家族としては安堵しました。
ところが、その矢先、兄は癌を患い、正にあっという間に急逝したのです。享年29歳、産まれた女の子は1歳でした。若くして亡くなるなら、山での事故だと思っていたのに、予想外の結末でした。
それから20年以上を経て、私が低山に行くようになると共に、文太郎様のことを知ることとなりました。畏れ多いことですが、その境遇が兄と相似しており、驚愕しました。
今は、山に入る度、そこにある木や草や岩から多くのことを与えてもらえます。その間は、生前は、まともな会話もできなかった兄を近くに感じることができるような気がします。山にいる間は、できるだけ山から享受できる恩恵を、他人との会話などで妨げられたくない、と思うことすらあります。
山は単独行に限りますね。文太郎様。
 

11月7日午前0時、私は1人、真っ暗な峠道をフラフラと歩いていました。脚の疲労はとうに限界に達し、睡魔が襲います。いつのまにか歩きながら眠ってしまい、森の中から聞こえる甲高いシカの鳴き声で我に帰るころには景色が知らぬ間に変わっていました。そんなことを繰り返しながら見つけたのは“新温泉町”の標識。加藤文太郎さんの故郷までもうすぐです。
 
私が文太郎さんのことを知ったのは新田次郎さんの小説『孤高の人』でした。彼の山に対する姿勢に魅了されたことや、エンジニアを志す点で境遇が似ていることもあり、いつしか彼の存在が私の中で大きくなっていったのです。
 
昨夏に登った人生初の北アルプスは燕岳から蝶ヶ岳までの縦走コース。神戸から鈍行を乗り継ぎ松本まで行ったのですが、電車の中で読んだのは文太郎さんの『単独行』。彼の初北アルプスも燕岳だったことをそこで思い出し、知らない間に文太郎さんの後を追っていたことに思わず苦笑してしまいました。
 
神戸の和田岬から彼の故郷である浜坂まで歩いて行こうと思い立ったのは北アルプス縦走を終えて間もないころ。計画を立てるために下調べをしていて、このカトブンという大会の存在を知りました。
彼を愛し、同じようにチャレンジをする同志が大勢いることに嬉しくなり、絶対にこの大会に出ようと思いました。
 
大会のサイトには完走者の記録や詳細なマップが載っており、計画を立てるうえで非常に参考になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 
11月7日午前6時、和田岬を出発して47時間47分、私はとうとう浜坂にたどり着きました。慣れ親しんだ瀬戸内海とは違い、吹き荒ぶ潮風と寒空にごうごうと響く荒々しい波音が日本海に到達したことを実感させました。この荒波に揉まれながら文太郎さんは逞しく成長していったのでしょう。そんな貴方に少しは近づけたでしょうか。