UTMB 2014 参戦記



フィンランド航空を利用して関空からヘルシンキで乗り継いでジュネーブ空港に。空港からはシャモニーへはシャトルバス(AlpyBus)で向かいました。関空を立ってから約半日で到着です。早い!!宿泊のホテル・アルピーヌは対岸で受け付けやカーボパーティが開かれる、立地最高のホテルでした。  
シャモニー初日はバスのワイパーが効かないほどの豪雨でレースの天候が不安になりました。しかし2日目、3日目共に快晴で、日中はTシャツで過ごせるほど暑くなり、モンブランの山々の美しく輝きました。  
レース当日の予報は「晴れ時々にわか雨」でしたが、朝から天気が良く好天を期待しました。しかし午後5時半のスタート30分前から雨がポツポツ降り始め、スタート時にはレインウエア(ジャケット)が必要なほどしっかりとした雨になってしまいました。  
ご一緒した嫁さんの友達Hさんの「100%晴れ女」も今回は効果無し。  
レース序盤のコンタミン(30キロ)までは時間設定が厳しいと聞き、それなりに走った結果30分程度の余裕が出来ました。エイドではサポートをしてくれている嫁さんに無事に合流。  
雨は夜中降り続き、シャモニーから山を二つ越えたシャンピュー(50キロ地点)までの牧草地やゲレンデは泥沼化していました。ここでお約束の転倒を3回実行。1度目は事なきを得ましたが、3回目で左足の筋を痛め、足を置く度に痛みが走ります。トレイルの冷たい沢水に時々シューズごと突っ込み、アイシングの真似事をしてしのぎました。前半のアクシデントで少し落ち込みましたが、今回は足の痛み程度では止められません。  
日中は見とれるほどの景観を誇るモンブランの山並みも、夜間は六甲を走るのと大差が無いと思いきや、二千メートル級の山腹に九十九折れ上に連なるヘッドライトの明かりは美しく感動的でした。シャンピュー手前から夜が明け始めました。  
シャンピューから中間地点のクールマイヨール(77キロ地点)までは御岳に似たガレ場が続きます。UTMBはフランス、イタリア、スイスにまたがるコース設定です。エリアによって路面の表情もハッキリと変化します。  
コース中には何度か小さな村の中を走りますが、どの村もレースを忘れて巡ってみたいと思うほどで、応援も盛んで嬉しかったです。  
レースも中盤を迎えると、UTMBについて日本で語られることに間違があることに気付きます。  
エイドについては、日本人が食べるものが少ないと聞きますが、チーズやサラミは日本のスーパーにある物と変わりなく、オレンジやバナナなどの果物、ドライフーズ、菓子、菓子パン、フランスパン。飲み物もコーラ、温かいスープ、コーヒーに紅茶とメニューも豊富。充分にカロリーを摂取出来る内容でした。スープも前半のエイドでは塩分摂取のため辛めに味付けする気配りもありました。  
マーカーについては、大ざっぱな設置と書いてある雑誌がありましたが、私にはランナーの心情をくみ取った上手い配置だと思いました。エイド周辺では道路上のマーキングも加わり安心でした。実際ソロで夜間の巻き道を走りましたが、不安はありませんでした。マーカーは量よりも適切な配置なんですね。  
シャンピューから山を2つ越えてレース中間のクールマイヨール(77キロ地点)の大きな建物に到着。ここまでで2時間の貯金が出来ました。  
 
 

ドロップバックをピックアップしてドロドロになったシューズやウエアを全交換。嫁さんが日本食の店で頼んでくれたお握りを戴きました。約1時間ちかく過ごしました。ここからはいよいよコース中の最高峰、標高2537メートルのグラン・コル・フェレを目指します。  
幾度も山の登り下りしましたが、グラン・コル・フェレの登りは特にきつくありませんでした。コル・フェレといえばNHKの「激走モンブラン」でキリアンや鏑木さんが吹雪の中を寒そうに駆け抜けた峠です。今回は雨の為?に気温も全体に高めで、残雪もありません。コル・フェレを越えた辺りから、「どんなに高い山もボチボチ進めば越えられる」「ひとつ、ひとつ焦らずに乗り越えていけば完走も出来る」という思いがありました。しかし現実はそうは甘くありませんでした。  
グラン・コル・フェレからシャンペ湖(122キロ)に向かう長い降りの途中から日が落ちはじめました。この辺りから体調に変化が見え始め、上半身が左側への倒れ込み、ふらつきも多くなり、登り下りではストックを使ってなんとか姿勢を保つことがやっとになり、エイドスタッフに抱えられるようにしてシャンペ湖に着き、簡易ベッドで横になって30分休みました。  
シャンペ湖からゴールまでは二千メートル級の峠を3つ越えなければなりません。  
休むと頭も少し明瞭になり、気分も少し取り戻してトリエントの関門を目指したが、ふらつきは登り初めて直ぐに現れ、本当に落ち込みました。トレイルも苦手なテクニカルな路面に変わりました。私の様子が異様だったのか、通過していく多くのランナーが「大丈夫?」と声を掛けてくれ、幾人かのランナーは「次のエイドまで付いて行こうか?」とまで言ってくれました。もちろん丁重に(そのつもり)お断りしましたが、ちゃんと伝わったかどうか?  
トリエント(139キロ)でも少しばかり仮眠を取りました。横になりながら嫁さんに電話。  
UTMFでは弱気のために自ら引いてしまい、悔しい思いを持ち続けました。UTMBは何があっても絶対自分からは引かないと決めていました。シャンペ湖からの夜間を無事にここまでこれたのが不思議なぐらいでしたが、今の体調ではここから進むことは間違いなくもっと大きなリスクを抱え込むことになります。意を決して登り始めるも足が前にでません。一度後戻りをして、しばらく黙々と歩みを始めるランナーを見つめていました。何人かのランナーと出逢うと、不思議と気持ちに力が湧いてくるのを感じました。  
トリエントからはカトーニュ峠を越えてバローシン(149キロ)までの10キロを進みます。シャンペ湖から以降は集団に着いて行けず、ソロになることも多くなりました。下りに入るとバローシンの村が眼下に見えてきました。場内アナウンスの声も響いてきます。しかし、もどかしいぐらいに村が近づきません。もう真っ直ぐに歩くことさえ困難になり、数え切れないぐらいに転倒を繰り返して下りは続きます。私を追い越すランナーも居なくなり、最後尾のランナーになったことも知りました。場内アナウンスの声が聞こえなくなり、関門が閉じられ、私のUTMBは終わったことを知りました。  
その後、30分近くかかって、バローシンに到着。心配した嫁さんがシャモニーから駆けつけて、ひとり迎えてくれました。ちょっと泣けました。私達の様子をビデオカメラが撮影していました。嫁さんはインタビューを受けたそうですが、詳細は分かりません。私はそのまま医務室に運ばれて点滴などドクターの治療を受けましたが、こともあろうに救急車でシャモニーの大きな病院にまで搬送するとのこと。「しばらく休んでおれば元気になるのに」と思いましたが、この機を逃すと「フランスの救急車」に乗ることなどないやろな…などという気持ちもあり、嫁さんも乗車してシャモニーに向かうことになりました。  
   
今回のUTMBは完走出来ませんでしたが、「全力を使って、やり切った感」で満ちています。UTMFの失敗は繰り返さない、その借りを返すつもりでモンブランを走りましたが、完走でなくても私の中では一歩前進した100マイルレースが出来たように思います。  
そして、何よりも想像を絶するほどのモンブランの山々がつくる自然の中に、ランナーとして身を置けたことの感動は一生忘れる事はないと思います。応援のメーセージを頂き、レース状況を見守ってくれた方に本当に感謝します。ありがとうございました。不調の原因をちゃんと突き止め、しっかり治してから、またトライいたしたいと思います。